第6回 長春のレストランの話をしよう。

長春のレストランの話をしよう。

長春の食堂について話してみよう。長春の主な料理は東北料理だ。東北料理自体家庭料理だから海鮮のような華やかさはなく、むしろ質素と言ってもいい。

今、日本で話題の餃子は東北料理に無くてはならないものだ。この餃子は主に水餃子。日本人は餃子と言えば焼餃子しか浮かんでこないが、本場中国で焼餃子はあまり食べない。もし、どうしても食べたくて頼んでも、出てきた餃子の形は似ているけれど、味が違っているはずだ。そして、本場より日本の方が美味しいと思うはずである。

水餃子でも同じなのだが、餃子の中にニンニクが入ってないので食べていても何か違う、ちょっと違うと思うのである。このニンニクが入っているのと入っていない差は大きい。中国の人の食べ方はおろしニンニクを餃子のタレに入れたりするのだが、ワイルドな食べ方として、生ニンニクの皮をむいてそのまま食べるのもお勧めだ。

中国滞在中は商談があるので口臭を気にしていたが、周りを見渡せば、皆ニンニク臭くてそんなに気にしなくてもいいのだ。横断歩道、みんなで渡れば怖くないである。私は以前から水餃子に物足りなさを覚えていたが、このニンニクをかじる食べ方をしたときに始めて餃子が美味しいと感じるようになった。美味しいと感じるのには、その風土にあった食べ方で食べないといけないと思う。

しかし、気を付けないといけない点がある。私は体臭はない方だが、中国から戻ると体臭が出ているそうである。ニンニクとか香菜とか唐辛子とか結構臭いのきついものを意識しないで食べているから。日本の中華料理店でお昼のランチに餃子ライスを注文する感覚で、中国の餃子専門店で餃子ライスを探してみてもないはずだ。ご飯は主食、餃子は惣菜ではなく主食だから、ご飯とパンを一緒に食べるようなものなので無いのである。

どうしてもこの餃子ライスの感覚で食べたくて頼んで貰ったが従業員の賄いのご飯ならいいよと言うことでお椀に一杯ご飯を貰ったことがある。「日本人は主食だけで、副食(おかず)を食べない。」と思われたことだろうなぁー。主食・主食のラーメンライスもそうだし、自分自身の食生活の貧困さを感じてしまう。

ラーメン餃子定食などは主食・主食・主食。日本では中華料理を毎日、何かしら食べている。
これは、美味しいから食べているのだが、最初、中国に来たときに本場の中国料理はさぞかし美味しいものだという思い入れがあった。ラーメン、餃子、チャーハン、春巻き、海老の甘酢煮、青椒肉絲が本場中国料理と思っていた。

しかし、中国の食堂でこの単品をメニューの中に探し出すのは苦労する。
部厚いメニューに沢山品数があるが、中国の人が注文する料理の中に上記のような日本独特の中華料理は殆ど見あたらない。上記の日本で食べる中華料理は、中華風日本料理である。特にラーメンは日本料理ではないだろうか?

私は中国の麺類を食べて美味しいと思ったことがない。「ここの店の麺は美味しい」と評判のところでも、口に合わない。麺の素材も違うし、ダシも違う。私はグルメでもなんでもなく、どちらかというと味音痴だから当てにならないのを差し引いても中国の麺料理が美味しいとは思わない。中国料理の種類としては、辛い方の部類として四川、湖南料理が有名だ。

料理店の名前に川・湖の漢字が入っていれば、そこはほぼ辛い料理と思って間違いない。
広東省の人に四川料理を三度食べれば、その辛さに病み付きになるから我慢して食べなさいと言われて今日まで来たが、未だに口が痺れて、意識が朦朧とするだけで、この料理を食べなければ禁断症状が出るというものではない。出来れば、川・湖の漢字が入っていない料理店に入りたいと思っている。それでも、ここのは大丈夫だからと連れて行かれるが、先日、ようやく大丈夫な食べ方が見つかった。

辛くて痺れるような料理が駄目なのは私くらいかなと思っていたが、中国の人でも辛いのは駄目な人もいるらしく、そういう人は服務員にボールにお湯を持ってきてもらい、お湯にシャブシャブとして唐辛子を洗い落とせば、程良く食べられるのだ。辛いものが駄目で、どうしても四川、湖南料理を食べなくてはいけなくなったときはこの方法をおためしあれ。

しかし、私は三度食べても駄目だったが、ひょっとするとこの辛さに陶酔してしまうかもしれないし、三度目までは我慢をしていただきたい。あと地名がついた料理では、上海料理があるが、海鮮中心で上海蟹のイメージでお値段も高め。北京料理という名称はあると思うが、宮廷料理のようなものか?

広東、台湾料理は比較的日本人が食べやすい料理だと思う。大連料理とか長春料理、哈爾浜料理という名前は耳にしたことはなく、東北料理として呼ばれているが、長春に行ったとき、良く行く食堂がある。名前は「向陽屯」毛主席時代の民家の雰囲気と家庭料理を味わえるお店である。

前に書いた、「金婚」のドラマに出てくる1960年代から1970年代の世界である。
毛主席の銅像があり、壁には当時のポスターが貼ってあったりする。いくつもの個室があるが、それぞれに個性があって楽しい。風刺画と詩が書いてある部屋もあるが、書いてある詩の内容をそのまま受け取ってはいけない。当時のいろいろなものをオープンに出来ない事を、様々な形に変えて表現している裏を読まなければいけない。私はただただ、文字のおもしろさと、味のあるイラストを楽しんでいたのだが、それだけではなかったのだ。

自由にものを表現することが出来なかった時代に、地下とか裏で当時の人達の遊び心を知ることが出来る。この感覚は、中国のビジネスに今も脈々と生きているような気がする。中国ビジネスの人間関係の裏を読まなければ、中国で成功するには難しい。

いやはや、奥が深い。以前来たときに、欧米人の団体が来ていた。料理も当時の料理だし、中国のノスタルジーを感じるには良いお店である。しかし、一緒に来たことのある老夫婦にこのお店はどうですかと聞いたことがある。「当時のつらい生活を想い出すのでいい感じではない。」「今、中国ではいろいろな問題があるが、この時代よりはマシでこの時代には戻りたくない。」という話だった。

私には、落ち着いて心あたたまる空間なのだが、実体験をしてきた人達にとっては違う感覚があるのを理解した。私は始めて連れてきて貰ったのは、芸術大学の学生達である。芸術大学の学生達にはお気に入りの場所でも老世代がいい意味でノスタルジーを享受出来るのはまだまだ先のような気がする。

私には戦争体験がないが、日本の第2次世界大戦と同じ感覚なのかもしれない。長春にはこの様なお店が後一軒知っているが、私は「向陽屯」が好きである。欧米人もかなり来ているようだし、このお店が観光客目当てに変化しないことを望むばかりだ。いつまでも芸大の学園祭の乗りであって欲しい。

2008年2月